僕の見たシンガポール

シンガポールから思ったことを日々更新していきます。

サラリーマンという戦場

筋トレの大事な概念に、「オールアウト」という言葉があります。

筋トレの効果を得る為に大切な事は、筋肉を限界まで追い込む事です。

1セット中に自分の力を使いきり、動かなくなるぐらいまで追い込む事によって、しばしの休息のあと、筋肉がより強くなって復活をするんです。

 

しかし、追い込もうとしても、通常、人間は体力の限界よりも精神の限界の方が早い段階で訪れます。

これは根性の有る無しでは無くて、肉体を酷使して壊れてしまわないように備わっている自己防衛のための回路みたいなもんなんです。

ですから筋トレの時も、「もうこれ以上上がらない・・・」と思っていても、体の方にはもう少し余力があります。この余力をなんとか引き出して限界近くまで追い込む事をオールアウトといいます。

 

筋トレをする人ならばよく分かるかもしれませんが、「もうこれ以上上がらない・・・」からの余力を如何に絞りだすか、このオールアウトをするかしないかで、成長が全く変わってきます。

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さて、打って変わって、今のお仕事のお話。

今、非常に忙しい時期が続いています。ある程度大きな成果を上げて、 成果には見合った仕事を任されて、次のステージに登れるかどうかの試金石の途中といったところでしょうか。

 

物理的には周りの人の3倍以上の仕事を任されて、(今まで3人がいたポジションを1人でやっているんだから、間違いありません) 仕事の範囲はアジア全般へと広がって、全然終わらないから休日も関係なく仕事をして。

 

非常に辛いときも多いですが、ここが正念場だと死ぬ気でやっています。

 

世の中にはいろいろなタイプの人間がいると思いますが、はじめから結構なんでもできるタイプの人ではなく、僕は結構、ゴリゴリの努力タイプです。

大学の部活も、自分のポジションが存在するかも分からなかったけれど、誰よりも練習して、泣きながら走りこんで、それなりの結果を残すことができましたし。

今の仕事も、はっきり言って、入社して1年近くはホントにクソみたいな結果しか出せてませんでした。

中途で入って周囲より遅れている焦りもある中 、言葉も何しゃべっているか分からないし、仕事の仕方も前職とはあまりに違いすぎて、非常に苦労しました。

だけれども、そこから、圧倒的な速度で成長ができたのは、やっぱり「オールアウト」をしてきたからなんだと思っています。


人間は楽な方に流れるように出来ています。

仕事っていうのは、終わらせようと思ったなら、それなりの成果物で終わらせることが可能です。ここらへんは組織のこと、仕事のことがわかってくるとどんどんそこら辺がうまくなっていくかと思います。

さらに、どんどん人生のステージが上がっていくと、仕事以外にもいろいろと人生の選択肢が出てきます。

 

「そんなに仕事を頑張らなくても…」という気持ちが、少しづつオールアウトを阻害していきます。

 

でも、

 

日々の仕事でいかに余力を絞り出してオールアウトできているかどうか。

それが日々積み重なって、2年、3年、はたまた10年となっていったときには、そこには圧倒的な差がついているんじゃないでしょうか。

 

久しぶりに先ほど「調理場という戦場―「コート・ドール」斉須政雄の仕事論」という最高にオススメな1冊を読み返したのですが、次のように書いてありまして、もう、脱帽でした。やっぱり世界で頭角を表す人の努力は段違いです。

調理場という戦場―「コート・ドール」斉須政雄の仕事論 (幻冬舎文庫)

調理場という戦場―「コート・ドール」斉須政雄の仕事論 (幻冬舎文庫)

 

 

五月から十月までは、だいたい二五〇名から三〇〇名くらいのお客さんが常に入っていました。川沿いのホテルの中にあるレストランなのです。セーヌ川の上流のマルヌ川にお客さんがヨットで乗りつけて岸沿いのテラスで食事をするタイプのお店でした。

テラスに二八〇人ぶんの席があって、その他八〇人のバンケットルーム、ダイニングには四〇から四五人ほど入る。

そして厨房にいるのは、一〇人。

 

これはほんとにもう「戦場」でした。どなり声も出ます。サービスの間は精神的に酸欠状態なのです。ボンベが欲しかった。やりこなせないと思うようなことをやってしまわないといけない仕事量。

やらなければしかたがない。

仕事を細分化しているヒマもないですし、とにかく何よりも「急がないと、間に合わない」。

朝一番に今日のお客さんの予約状況が記されている紙を見ると、あまりの予約の多さに、緊張で昼の食事を受けつけなかった。長い紙には時間と流れがワーッと書いてあります。その紙の横で賄いを食べるようにバケットが用意されているんですけど、ぼくは食べられなかった。この昼からの時間を思うと、気持ちが悪くなってしまっていました。

だって、できるはずのない仕事量でしたから。そんな仕事量ですがやらなきゃならないというか、ここで働く以上は、やらないと明日はないというか……泣きが入る場面なのですが、泣きが入ろうが入るまいが、この店で継続して働くには、とにかくやるしかない。平常心ではいられないですよ。

 

働いている最中は、「もう、二〇代は捨てた」と考えていました。

 

乞食ほどの貧しい生活ではないけれど、薄給の中で長い下積みの期間をフランスで過ごすということは明らかでした。

「いいとか悪いとかいうことではない。『そういうこと』なんだ」と思っていました。

自分がそれまでにいかに何もできない情けない資質の人間だったかを把握していたから、「三五歳になっても独立していることはないだろうなぁ」と考えていました。

でも、今までの自分に甘んじるわけにはいかない。前に進みたいのならば、効率は悪いかもしれないけれど、自分の足で歩く以外に方法はない。自分の目と手を使って探っていくしかない。

 

もちろん、五時から女の子とデートをしにいくような人のことを、うらやましくて仕方がなかったですよ。ぼくも二〇代前半で、遊びたい盛りだった。

でも、ぼくも、「そろそろ起死回生をはかりたい」と考えていたのです。
それまでの、いつも後悔しながら暮らしていた自分のカラを、今度こそ破りたいと思っていた。自分の習慣を変えずに流れるままに過ごしていたら、きっと十年後も人をうらやんでいるに違いない。

モテる人がうらやましいし、仕事のできる人がうらやましい。生き方を変えなければ、異性のことにも仕事のことにもどっちつかずで、満たされないままの十年後を迎えるに違いない。

 

だったら、ぼくは仕事以外のものは捨てよう。

ぼくには資質がないのだから、やり過ぎぐらいが当たり前のはずだ。

 

「やり過ぎを自分の常識にすることによって水準を守る」というぼくの仕事への基本的な方針は、この時からはじまったように思います。 

 

仕事が人生の全てではないと思いますし、人それぞれいろいろな生き方があると思います。

仕事はほどほどに、という生き方を否定する気は全くありません。

(僕も、もちろんプライベートは充実させたいですし)

 

でも、僕も、資質はそんなにない凡人のタイプの人間だけれど、どうせやるならば、やっぱりその分野で上がれるところまで登りつめたいと思いますし、何かでっかいことを成し遂げたい、というタイプの人間なのです。

そのためにも、日々、あとちょっと残っている余力をぎりぎりまで絞り出して、オールアウトを積み重ねていきたいと思うのです。