僕の見たシンガポール

シンガポールから思ったことを日々更新していきます。

ニュートンのりんごと民主主義と。

ニュートンが木から落ちるりんごを見て、万有引力の法則を発見した、と言われています。

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とはいえ、古今東西、無数の人が木から落ちるりんごを見ていたのに、なぜ、ニュートンだけが万有引力に気づくことができたのでしょうか。

 

僕がNバッグを背負ってた純粋な小学生だった頃、N能研の先生がこう言ってました。

 

ニュートンはりんごだけを見て気づいたんじゃない。ニュートンはさらに月を見て、月が落ちてこないのに、なんでりんごが落ちてくるんだろうって考えたんだ」

 

仕事柄、よく分析というものをやるのですが、優れた分析かそうでないかを分けるのは、ベンチマーク(比較対象)を何に設定して比較するか、がほぼ全てです

 

ニュートンの事例で行けば、彼が木から落ちるりんごを見た時に、月をベンチマークにして比較したからこそ、その差異に気づいて万有引力を発見できたわけです。

これが例えば、ガリレオのように鉄球をベンチマークにしていたならば、「物質は重さによらず落下速度は同じである」ということを発見できていたんじゃないでしょうか。

さらに、昨年のりんごが落ちる時期をベンチマークにしていたら、もしかしたら今年の気候やりんごの生産状況が分かったかもしれません。

ちなみに、猿が木から落ちるのを見て、「猿も木から落ちる」ということわざが生まれたのも、要するに、通常の木から落ちることのない猿たちがベンチマークになっていたわけです。

 

逆を言うと、ベンチマークなしに「色が赤いりんごほどよく木から落ちる」という結論を言われたらどう思うでしょうか?ホンマかいな、って思いますよね?青いりんごとのベンチマーク比較を見せてくれないかぎりはちょっと信じがたいはずなのです。

 

さらにもっと大事なのはベンチマークの変数をなるべく抑えることです。「色が赤いりんごほどよく木から落ちる」という結論を出したいのならば、季節も土地も天候もなるべくみんな揃えて、青いりんごとの比較をすべきです。「風が強かっただけなんじゃないの?」とか無用なツッコミを防ぐ必要があるからです。

 

さて

 

前回は「民主主義ってもう限界なんじゃないんですかね?」と言わせていただきましたが、

実はそもそも民主主義が機能しているかどうかを語るならば正しいベンチマークをすべきです。

 

つまり、全く条件の同じ日本を用意して、一方が民主主義で、もう一方が別の方法で統治されているという2つの日本をある一定の期間を観察して結論を出すべきなんです。

 

まあそんなことは不可能なので、どの他の変数が結果に影響を与えているかを考える必要があるわけです。赤いりんごの例で言うならば、早く落下したのは、色のせいなのか、風のせいなのか、といったところをなるべくいくつかの事例を比較して判断していくわけです。

 

ここらへんのことを頭に入れていると、だいぶ違った絵が見えてきます。つまり、

 

「民主主義が最近機能しなくなってきた」わけではなく、

「民主主義はもともとだいぶポンコツだったけど、社会主義とか独裁とかのベンチマークに比べたらマシだった」であり、

「日本が少子高齢化を迎え、人口ボーナスによる成長が終了する中で、経済成長が難しくなってきたからそれが最近より露見してきただけ」であり、

「もしかしたら民主主義じゃない別の方法だったら高度経済成長期の日本はもっと成長していた」のかもしれません。

 

「過去には民主主義が機能していた」というならば、その時期の民主主義で統治された日本と別の方法で統治された日本を比較しないといけないですし、逆に言うとこの時期はある程度誰が何をしててもうまくいっていた時期かもしれません。

 

 

ちなみに、僕が民主主義がそもそもあんまりうまくいかないと信じている一つの理由に、このベンチマークの分析手法があまり一般的に浸透していないと思うからです。

 

先程も言いましたが、「アベノミクスがうまくいっていたかいっていないか」を語るには、2つの日本を準備して比較するか、他の変数の影響を考える必要があるので、

 

結論として、アベノミクスのせいで○○が起こってしまった」なのか、「アベノミクスのおかげで○○までに留められた(もっと悪くなるところを食い止めた)」なのか、「アベノミクスは○○とは関係ない」なのか、は冷静に議論されないといけないはずです。 

 

例えば、格差の拡大とかは、どちらかというと大きな時代の潮流の問題だと思いますので、

「誰が何をしても多くの労働者の賃金はあがらなかったかもしれません」し、

「みんながまとめて儲からなくなった」よりはアベノミクスにより「せめて富裕層だけでも儲かった」方がマシなのは間違いありません。日本国内の富はゼロサムゲームではないですからね。

 

ちなみに僕はアベノミクス推しでもなんでもなく、円安はほんとにもうこれ以上は勘弁してほしいところなんですが、いろんな記事とかみんなのコメントとかを読んでると、結構感情的な議論・結論に終始してしまうことが多く、ここらへんの考え方が浸透して、もっと建設的な議論ができればいいなあと思っているわけです。