僕の見たシンガポール

シンガポールから思ったことを日々更新していきます。

ボケとツッコミと真のグローバル人材に必要な能力

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シンガポールに暮らしていて、常々思うことがあるんです。それは

 

海外のお笑いにはツッコミがない

 

ということです。

 

もしかしたら中東とかアフリカのどこかではあるのかもしれませんが、少なくとも今のところは僕は見たことがないです。(ちなみにここで言うツッコミはいわゆるテレビのコメディだけの話でなく、日常の会話での笑いも含めてのことです。)

 

だからなんだ、ということを思われる方も多いかもしれませんが、あえて言わせてください。

 

これは、真のグローバル人材になるために考慮すべき重大な違いだと。

グローバル関連のどんなビジネス本を読んでも載ってるのは見たことありませんが、実際に仕事をしていると、日々生活をしていると、結構インパクトの大きな話なんです。

公私問わず、ユーモアのセンスが大切なことに関しては異論を唱える人はいらっしゃいませんよね?だとすると、そう、これはそのまさに大切なユーモアに関わる問題なんですから。

 

ツッコミってそもそもなんだろう?

もう少しこのシリアスな問題を詳細に見ていきましょう。それには、そもそもツッコミの役目はなんぞや、というとこからお話しなければいけません。

端的に言うならば、ツッコミとはボケの解説者です。言い換えるならば、ボケを分かりやすく、より面白い形に変換してお届けする役目を持っています。

 

もう少し詳しく述べると、まず、ボケとは基本的には、期待を外すこと、常識から外れることで笑いを生み出す役目です。つまり、皆の思っているところとは違う、予想の範囲外に話を着地をさせるから、笑いが起こるのです。

 

汚い話ですが、「昨日食べたカレーが美味しかったよ」では予想の範囲内で笑いは起きないのですが、「昨日食べたカレー、ウンコ味だったよ」ではその意外性から笑いが起きるわけです。

 

では、ボケが「昨日食べたウンコ、ウンコ味だったよ」と話したらどうなるでしょう。数人は笑うかもしれませんが、いきなり何を言ってるのか理解できない人が大半ではないでしょうか。予想の範囲外にオチを置くのは大事ですが範囲外すぎてポカンとしてしまうのです。

 

このときに、ツッコミが「ってウンコ味のカレーとかカレー味のウンコとかじゃないんかい!」とテンポ良くツッコむことで、周囲の人は「なるほど。よくあるウンコ・カレー論争を元にされたギャグなんだな」と理解することができます。

 

また、このツッコミ次第でボケはいかようにも面白くなります。「てかそれただのウンコじゃん!」とか不自然さを強調するようなツッコミをさらにいれてあげることで、さらにボケが色彩を帯びるわけです。

 

つまりツッコミがいることによって、ボケは「周囲に理解されないかもしれない」、または「すべるかもしれない」という恐怖から逃れられ、自由に思い切った発言をすることができるわけです。ボケを生かすも殺すもツッコミ次第というわけですね。

 

日本のツッコミ文化と安全圏で戦う人たち

日本の場合はこのツッコミ文化が発達したゆえに、ボケはどんどん思い切ったところまで進化していきます。ツッコミさえあれば、「昨日食べたカレー、カレー味だったよ」も面白いボケになりえますし、「昨日カレー食べなかったよ」というボケですら、うまく成立するかもしれません。

 

個人的に分かりやすいのが、「すごいよ!マサルさん」でして、漫画の中でツッコミキャラを登場させることで、既存のギャグマンガでは難しかった読者の予想の範囲のはるか外に置くということを成し遂げているわけです。

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ちなみに日本人は通常の会話でだいたいボケが得意な人、ツッコミが得意な人で分類することができます。完全に個人的な感覚ですが、ボケ3に対してツッコミ7ぐらいの割合でしょうか。ツッコミが多い理由としては、ツッコミは基本的にはすべりづらい、というのがあります。基本的にはシャイな日本人に安全圏から戦うツッコミスタイルは合っているんですね。

さて、ここでグローバルに目を向けて見ましょう。繰り返しますが、海外にはツッコミはありません。もう、何が起こるかは明白ですよね。つまり。

  1. ツッコミのスタイルだった7割の日本人は、ボケの能力を身につけなければいけない
  2. ボケの人は、理解できうる範囲にボケを調整しなければならない。

ということが起こります。

 

2のボケスタイルの人の方がまだ楽です。今まで、「ウンコ味のウンコ!」と言ってたところを、ツッコミがいないことを前提にして、きちんとストーリーを分かりやすく語り、予測の範囲外、理解の範囲内に落とすスタイルに変えればいいのです。これを認識していないと「ウンコ味のウンコ!」でダダすべりという大事故に遭いかねません。

 

イメージとしては、「有名なカレー味のウンコとかウンコ味のカレーって議論があるじゃないか。あれね、僕もいつも悩むんだけど本当に究極の選択だよね。そんなことを考えながら昨日カレーを家で作ろうとしてたんだけど、考えすぎて気づいたらカレーの代わりにウンコ入れちゃったよ、HAHAHA」みたいに丁寧にストーリーを語る、見るからにアメリカンジョークですね、のようなギャグが好まれます。

 

しかし、1のツッコミで生きてきた人に関してはかなり深刻です。180度のスタイル転換を求められているわけです。今まで基本的にはツッコミとして「すべりにくい」安全圏から戦っていた人々も最前線で殴りあわなければいけません。

 

ボケに求められている能力は、ユーモアのセンスはもちろんですが、基本的にはストーリーを語る力と勇気が非常に大事です。なれない英語でうまく強弱をつけながら分かりやすくストーリーを語りオチをつける、これがどれくらいハードなことか、容易に想像がつきますね。

 

結果として多くのツッコミ型日本人は、臆病ゆえに質問文で英語の会話を成り立たせようとします。つまり、相手にそのストーリーの語り手を委ねるのです。これが必ずしも悪いことではありませんが、何時まで経ってもストーリーの語り手にはなれず、自分から笑いを提供する人間にはなれません。

 

真のグローバル人材になるために、英語の勉強も大事ですが、まず日本人が日本にいながら手軽に始められることとして、ツッコミスタイルから、ボケ中心のスタイルへと勇気を持って変更をすることかもしれませんね。