僕の見たシンガポール

シンガポールから思ったことを日々更新していきます。

1円玉なんてものは早く廃止したらいいんじゃないかな

どうも、タケナカです!

 

もう今回言いたいのはシンプルにタイトルの通りでして、早いとこ1円玉を廃止したらどうか、と思っているんです。

 

1円に笑う者は1円に泣くともよく言われますので、「なんと罰当たりな!」と思われるやもしれませんが、いつもの通り、3つばかり理由をあげさせてください。

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1. めんどくさい

なんかアホっぽい理由に聞こえますが、結構本気でして。

 

僕が住んでいるシンガポールも今やすっかり1セント硬貨を見なくなりまして、最小単位は5セントなんですが、その5セントもほとんど使われません。

 

なので、日本に帰ってきて毎回思うのが、この1円玉の扱いがかなりめんどくさいんです。

 

例えば、183円の時に203円で支払う的な気遣いをしようとするとどうしても時間がかかります。
とはいえ、それをしないと財布はパンパンに膨れ上がって傷むので、めんどくさくともしないわけにはいきません。さらには、レジの人からしても、1円玉を数えたり、お釣りを準備したり、と手間がかかってるわけです。

 

「こいつは外国かぶれして何を言ってるんだ」と思われるかもしれませんが、もし今から新硬貨として10銭玉、つまり0.1円の硬貨が発行されたらどうでしょう?104.3円の飲み物を買って、10銭玉を7枚お釣りにもらう世の中を想像してください。相当、めんどくさいですよね。

 

つまり、価値に対して、最小硬貨単位を不必要に小さくしたままだと、社会全体に無駄な手間を強いる羽目になります。1円玉は価値が低すぎるわけです。

 

2.鋳造コストが高い

2013年現在で、1円玉を作るのにおよそ3円かかっていまして、その硬貨の価値以上に無駄にコストをかけて作っているわけです。

 

あれ、そんなものいります?

 

消費税関連の需要増加を見越して、2013年度中に約2500万枚、2014年度は1億6000万枚製造したみたいですが、2014年はこんなものに5億円も使ったわけです。

 

借金が1000兆円あるのにそんなものにお金を使っているなんて、まるで無駄遣いがやめられない多重債務者みたいですよね。テレビのドキュメンタリーに出ては、視聴者から「お前大丈夫か?」って思われるあの人たちです。

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最近ではカナダで1セント硬貨が廃止され、ユーロ圏でも1セント、2セント硬貨の廃止が決定されたりしてまして、この鋳造コストに見合わない硬貨は世界的にも廃止される方向にありますね。

 

3日本人が価格にうるさくなくなる

最後のはまあ賛否両論かもしれませんが、日本人はもうちょっと価格に対して大らかになるべきだと思うわけです。

 

所感ですが、色んな国のマーケティングをしていて思うのは、日本人の価格へのうるささは異常なレベルだと感じてますし、その結果、先進国の中で唯一と言っていいほど物価はまったく上がっていないという結果になっています。

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(こちらより拝借)

 

長らく続く不況で冷え切った心理のせいだとか、倹約を美徳とする日本人の性格のせいだとか、企業間の激しい値下げ競争のせいだとか、色々と原因は考えつきますが、このまま価格にうるさすぎるままだと、通貨供給量がガンガン増えようが、金利は下がれど物価は上がらず、消費税も増税できないし、円安の原材料高騰も受けてバンバン倒産していく会社が増えていくし、とそんな未来しか見えないわけです。

 

逆を言うと、日本人が価格に対してうるさくなくなり、物価の上昇が容易になると、それに合わせてお金が回りだして、結果的に個人へのリターンも増えつつ、さらにはインフレで日本の借金も実質的に目減りしていくわけです。

 

じゃあどうするか、と言ったら1円玉を廃止してやればいいんです。こんな小さい通貨単位があるから、日本人は細かく価格を気にするわけです。

 

日本には肩こりという言葉があるから、日本人は肩こりに悩まされるのであり、日本に住んでいる外国人はその概念を知ってから肩こりになる、なんて逸話もありますが、それと同じです。

 

なんなら、1円玉を廃止した上で、さらにデノミでもしてやるなり(今までの100円を1円にしてしまうとか)、もしくはアメリカみたいにドルとセントを分けて、ドル以下は大した額じゃないという印象を作ってやることも効果的だと思います。

こちらのWEBマガジン出版翻訳 Did you know that?-ラッキー・ペニー(1セント)の価値の記事に面白いことが書いてありまして、

 

さて、ある日、息子と息子の友人を連れてタコベルというメキシコ系ファーストフード店に行ったときのことだ。私は、お腹がすいていなかったので、子どもたちだけ食べさせようとした。息子は10ドル(約1200円)を持って注文にいった。タコスを買って、席に戻ってきた息子は、おつりの1ドル札を「はい」と言って私に渡した。
「ちょうど9ドルだったの?」
と聞くと、
「8ドル99セントだったよ」
「じゃ、どうして1ドル1セントのおつりじゃないの?1セント落としたの?」
「違うよ。1ドルしかくれなかったんだよ」
「理雄がいらないって言ったの?」
「そんなこと言わないよ。1ドルしかくれなかったんだ。お母さん、1セントぐらいどうでもいいじゃないか」
その一言が「カチン」ときた。ここで私の日本人的律儀さがむくむくと湧きあがってくる。『1円を笑うものは1円に泣く』と教えられて育った世代の日本人だ。この息子の一言は許せない。
(略)

アメリカ人って、大きなお金にはこだわるけど、1セントってお金じゃないみたいなとこあるわよね。お店だって、銀行だって1ドル以下のお金は収支が合わなくっても、上司からの苦情はないって聞いたことあるわよ。実際、アメリカは、クレジットカードや小切手社会だから、小銭を扱うことは日本に比べればずっと少ないけれどね…」

 

そんなわけで、文化の影響ももちろん大きいとは思いますが、それと同時に、通貨と最小単位の硬貨は金銭感覚に大きな影響を与えるんじゃないでしょうか。130円の飲み物が150円に値上げになるというのと、1.3円のものが1.5円に値上げとなったら、だいぶ印象が違うように思うわけです。

 

と、いうわけで、早いとこ1円玉を廃止してしまえばいいと思うし、なんならデノミもしてしまえばいいと感じているタケナカがお送りいたしました。

 

ニュートンのりんごと民主主義と。

ニュートンが木から落ちるりんごを見て、万有引力の法則を発見した、と言われています。

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とはいえ、古今東西、無数の人が木から落ちるりんごを見ていたのに、なぜ、ニュートンだけが万有引力に気づくことができたのでしょうか。

 

僕がNバッグを背負ってた純粋な小学生だった頃、N能研の先生がこう言ってました。

 

ニュートンはりんごだけを見て気づいたんじゃない。ニュートンはさらに月を見て、月が落ちてこないのに、なんでりんごが落ちてくるんだろうって考えたんだ」

 

仕事柄、よく分析というものをやるのですが、優れた分析かそうでないかを分けるのは、ベンチマーク(比較対象)を何に設定して比較するか、がほぼ全てです

 

ニュートンの事例で行けば、彼が木から落ちるりんごを見た時に、月をベンチマークにして比較したからこそ、その差異に気づいて万有引力を発見できたわけです。

これが例えば、ガリレオのように鉄球をベンチマークにしていたならば、「物質は重さによらず落下速度は同じである」ということを発見できていたんじゃないでしょうか。

さらに、昨年のりんごが落ちる時期をベンチマークにしていたら、もしかしたら今年の気候やりんごの生産状況が分かったかもしれません。

ちなみに、猿が木から落ちるのを見て、「猿も木から落ちる」ということわざが生まれたのも、要するに、通常の木から落ちることのない猿たちがベンチマークになっていたわけです。

 

逆を言うと、ベンチマークなしに「色が赤いりんごほどよく木から落ちる」という結論を言われたらどう思うでしょうか?ホンマかいな、って思いますよね?青いりんごとのベンチマーク比較を見せてくれないかぎりはちょっと信じがたいはずなのです。

 

さらにもっと大事なのはベンチマークの変数をなるべく抑えることです。「色が赤いりんごほどよく木から落ちる」という結論を出したいのならば、季節も土地も天候もなるべくみんな揃えて、青いりんごとの比較をすべきです。「風が強かっただけなんじゃないの?」とか無用なツッコミを防ぐ必要があるからです。

 

さて

 

前回は「民主主義ってもう限界なんじゃないんですかね?」と言わせていただきましたが、

実はそもそも民主主義が機能しているかどうかを語るならば正しいベンチマークをすべきです。

 

つまり、全く条件の同じ日本を用意して、一方が民主主義で、もう一方が別の方法で統治されているという2つの日本をある一定の期間を観察して結論を出すべきなんです。

 

まあそんなことは不可能なので、どの他の変数が結果に影響を与えているかを考える必要があるわけです。赤いりんごの例で言うならば、早く落下したのは、色のせいなのか、風のせいなのか、といったところをなるべくいくつかの事例を比較して判断していくわけです。

 

ここらへんのことを頭に入れていると、だいぶ違った絵が見えてきます。つまり、

 

「民主主義が最近機能しなくなってきた」わけではなく、

「民主主義はもともとだいぶポンコツだったけど、社会主義とか独裁とかのベンチマークに比べたらマシだった」であり、

「日本が少子高齢化を迎え、人口ボーナスによる成長が終了する中で、経済成長が難しくなってきたからそれが最近より露見してきただけ」であり、

「もしかしたら民主主義じゃない別の方法だったら高度経済成長期の日本はもっと成長していた」のかもしれません。

 

「過去には民主主義が機能していた」というならば、その時期の民主主義で統治された日本と別の方法で統治された日本を比較しないといけないですし、逆に言うとこの時期はある程度誰が何をしててもうまくいっていた時期かもしれません。

 

 

ちなみに、僕が民主主義がそもそもあんまりうまくいかないと信じている一つの理由に、このベンチマークの分析手法があまり一般的に浸透していないと思うからです。

 

先程も言いましたが、「アベノミクスがうまくいっていたかいっていないか」を語るには、2つの日本を準備して比較するか、他の変数の影響を考える必要があるので、

 

結論として、アベノミクスのせいで○○が起こってしまった」なのか、「アベノミクスのおかげで○○までに留められた(もっと悪くなるところを食い止めた)」なのか、「アベノミクスは○○とは関係ない」なのか、は冷静に議論されないといけないはずです。 

 

例えば、格差の拡大とかは、どちらかというと大きな時代の潮流の問題だと思いますので、

「誰が何をしても多くの労働者の賃金はあがらなかったかもしれません」し、

「みんながまとめて儲からなくなった」よりはアベノミクスにより「せめて富裕層だけでも儲かった」方がマシなのは間違いありません。日本国内の富はゼロサムゲームではないですからね。

 

ちなみに僕はアベノミクス推しでもなんでもなく、円安はほんとにもうこれ以上は勘弁してほしいところなんですが、いろんな記事とかみんなのコメントとかを読んでると、結構感情的な議論・結論に終始してしまうことが多く、ここらへんの考え方が浸透して、もっと建設的な議論ができればいいなあと思っているわけです。

民主主義ってもう限界じゃないですかね

こんばんは。タケナカです。

 

先日、日本に帰ってきた時にニュースを見ていたら、話題になっているのが消費税増税衆議院の解散のお話。

今やもっぱら7-9月期のGDPの速報値の前年比1.6%減により、増税延期がほぼ決定ということでメディアを賑わしています。

 

こういう議論を見ていて思うのが、「将来的に膨張し続ける国の借金をどうするのか」「消費税増税はプライマリーバランスの改善のために不可欠か否か」という発想があまりなく、以下の様な人たちが多いように思います。

  • 「10%になって自分の負担が増えるのが嫌だから、増税延期しろ!」(ウチは家計が大変だよ派)
  • 「そもそも税金の無駄遣いが多すぎるはずだ!」(根拠なき無駄遣い派)
  • 「というか、もっと金持ちや大企業から取れ!」(自己中派)

 

あの、そんなこと言っている場合じゃないと思うんですけど…大丈夫ですか?

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こちらが2013年度の歳入と歳出ですが、税金関連を除いたいわゆるプライマリーバランスを健全化させるためだけでも、あと18兆円近いギャップがあるわけです。

無駄遣いの抑制も大事なんですが、25%近い歳出の「無駄遣い」を見つけられる根拠が無い限りは、両方を並行して行うべきだと思うんですよね。

 

下記の記事がいいことを言っていると思うんですが、

財政危機を回避するのに残された時間はそれほど多くないためだ。つまり、財政の限界である。米国アトランタ連邦準備銀行の経済学者リチャード・ブラウン氏らの研究(「Braun and Joines, 2011」)は、政府債務(対GDP)を発散(無限に膨張)させないために、消費税率を100%に上げざるを得なくなる限界の年を計算している。結果は消費税率が10%のままならば2032年まで、消費税率が5%のケースでは28年までとなっている。

同研究は試算していないが、消費税率が8%のケースでは30年頃が限界の年となるはずだ。

 

(中略)

 

現在の議論で欠けている視点だが、増税が遅れれば財政的に同じ効果を持つ税率引き上げ幅は2%より大きくなるためである。さらにいえば、財政を安定化させるためには、最終的にどの程度の税率が必要なのかも議論されていない。

 

前出研究によると、日本がデフレから脱却し2%のインフレを実現した場合でも、今後5年おきに段階的に消費税率を5%ずつ引き上げていき、ピーク時の税率を32%にしなければならない。このシナリオは年金給付などの削減など、相当厳しい状況を前提としている。増税スケジュールを遅らせれば、ピーク時の税率が急上昇し、若い世代や将来世代の負担が増す可能性がある。消費税率を10%に引き上げる痛みを先送りすれば、将来の痛みはずっと大きいのだ。

 

と、いうわけで、増税議論は、もっと中長期的な観点から増税の有無を議論をしていかないとどうしようもないと思うわけです。

(もちろん、景気は税制に関連するので、非常に大事ではあるんですが)

 

だけれども、

 

今の民主主義の現状を見ているかぎり、建設的な議論はこりゃ無理だな、と思うわけです。

なぜなら、以下の3つです。

 

1.国民は痛みに耐えて、中長期的な利益を取るという行為ができない

上にも書いたとおりですが、自分に痛みを伴う話になると、基本的に人間は短期的で直接的なデメリットに着目しがちです。

ここらへんは行動経済学でもよく言われる話でして、

「10キロダイエットするぞ!」「禁煙する」……人は様々な誓いを立てて、そして守ることができません。だれもが「我慢できない自分」と「論理的で、辛抱できる自分」の内なる闘争をくりひろげています。

 

なぜ人は目標が達成できないのか。それは、生物が長期的な利益よりも、短期的な誘惑に極端に弱いからなのです。

ヤル気の科学―行動経済学が教える成功の秘訣

ヤル気の科学―行動経済学が教える成功の秘訣

 

 そう、そもそも生物学上無理なんですね。日本人の半分以上がダイエットに苦労しなくなったら、民主主義はうまく回り出すんじゃないでしょうか。

 

2.特に選挙に大きな力を持つ老人たちは近視眼的な行動に陥りやすい

これは、さらに人間としては当然のことというか。

正直、僕が75歳で、「2030年に日本財政は崩壊する!」と言われても、イマイチピンと来ないですよね。だって高い確率でお亡くなりになってますし。

それよりは「老い先短いワシの生活を苦しくしないでちょうだい」と思うと思うんです。

と、いうわけで社会保障費の削減は困難を極めていくわけです。

 

また、借金関連の話は、高度経済成長期から始まってみたいなので、50年近く聞かされ続けていて、ある程度危機意識が麻痺している可能性は大きいですね。

 

3.政治家は選挙への当選を優先した行動を取る

シンガポールの父、リー・クアンユーも民主主義について下記のように言っていました。

国民に苦い薬を飲ませると、大統領は再選されない。

だから、なすべきことを先送りにし、選挙に勝つために不人気な政策を先送りにする。その結果、財政赤字や債務、高い失業率といった問題は、現政権から次の政権へと持ち越される。

リー・クアンユー、世界を語る 完全版

リー・クアンユー、世界を語る 完全版

 

 

「 もっと崇高な気高い精神を持った人が政治家になるべきだ!」とかは偉そうに言えますが、選挙に負けたら影響力も飯の種も失うわけで、ここらへんはある程度しょうがないところだと思うのです。

 

と、いうわけで。

何かで読んだんですが、民主主義というのは、会社に例えるならば、社長の人事権を取締役もお茶くみの一般社員も新入社員も等しく握っていて、会社の中長期戦略も重大な決断も、彼らに嫌われないように最大公約数で進めなければいけないという状態みたいなものでして。

 

すっっっごい不健康な状態ですよね。そんな企業。

 

なので、外部の監査の目はある程度入りつつ、ジョブズや孫さん、柳井さんといったカリスマが、時に痛みを伴う決断をしながら、強いリーダーシップで引っ張っていくスタイルの方がうまくいくと思うわけです。

 

(そのモデルには日本は大きすぎるって?だったら道州制を導入すればいいんじゃないでしょうか。そこら辺のお話はまたいつか)

「嫌われる勇気」ことアドラーの教えのまとめ

「嫌われる勇気」という本を読みました。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

すごい面白い本でした。新鮮な考え方というか。でも、色々と疑問に思ったことも多いので、それは次回にでもまとめます。

とりあえず、備忘録として、簡単な本の内容をまとめました。

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世界に羽ばたく英語学習法 スピーキング編

つらつらと続けて書いてきた英語学習法も今回で最後、その1(マインドセットと英単語)その2(リスニング)に続いて、今回はスピーキング編です。

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ピーキングは言わずもがな、日本人が最も不得意と言われている分野です。

僕も仕事や旅行で実感するのですが、他の国の人に比べて、圧倒的に日本人は英語のスピーキングが下手です。 

(日本人より下手だと思ったのは、 今のところアジアではベトナムくらいでしょうか)

前項でリスニングが最も大事だと言いましたが、やっぱりグローバルなビジネス環境ではSpeak upすることも非常に大事です。

「ミーティングで発言しないならば、いる価値がない」とまで言われる状況ですので、存在感を発揮していくためにも、スピーキングを鍛えていきましょう。

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世界に羽ばたく英語学習法 リスニング(&リーディング)編

前回に引き続き、英語学習法のお話。今回は、リスニング編です。

 

日々仕事をしていて思うのが、リスニングが最も重要だということです。

どんなにうまく喋れても聞くことができなければ議論には入れません。

 

逆に多少喋りがたどたどしくても、議論の流れを捉えた上でまともな内容を喋れれば、十分に存在感を発揮できます。

 

また、多少文章が読めなかったり書けなかったとしても、時間をかければいいのです。しかし、リスニングは待ったなしです。聞くことができなければ、あっという間に議論に取り残されます。

 

"Seek first to understand, before you are understood" と7つの習慣でも言ってましたし、何はともあれ聞くことから全ては始まるはずです。なので、まずリスニングを学ぶべし、ということですね。

 

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世界に羽ばたく英語学習法

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自分の試行錯誤の経験から学んだ英語学習方法をまとめてみようかと思います。

 

英語学習のトピックは散々話題になっていますが、僕も、かつては英語が全く喋れなかった「超ドメスティック人間」の代表のような人だったので、多くの人が感じているであろう真綿で首を絞められるようなじわじわとした危機感は非常に理解できます。

「英語、勉強しなきゃなー」と漠然と感じながら、何から手をつけていいか分からない。当時の僕もそうでした。大学受験以来、長らく英語に触れないで生きてきたわけです。僕の場合も、英語知識は相当に錆び付いて、埃をかぶっていました。これをピカピカにしたいところだけど、あまりに手をつけるべきところが多すぎて悩んでしまうわけです。

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